1987年にスタートし今年で39回目を迎える国内最大規模の映像アートの祭典「イメージフォーラム・フェスティバル2025」が、9月27日(土)より東京、京都、名古屋の3都市で開催されることが決定した。あわせて東アジア‧エクスペリメンタル‧コンペティションのノミネート作品&最終審査員が決定し、ミュージシャン‧近⽥春夫のイラストをフィーチャーしたメインビジュアルが解禁された。

このたび新たに公開された本年の映画祭メインビジュアルには、多様なジャンルを横断しながら日本の音楽シーンを牽引してきたミュージシャン・近田春夫によるイラストレーションをフィーチャー。本フェスティバルが掲げる、既存の枠にとらわれない自由な表現を象徴している。
また、日本、韓国、中国、香港、マカオ、台湾を対象とする公募部門「東アジア・エクスペリメンタル・コンペティション」のノミネート作品も決定。同地域出身または居住の映像作家から過去最多となる530作品の応募があり、厳正なる一次・二次審査を経て、下記20作品がノミネート選出された。
ノミネート作品は多彩な招待作品とともに「イメージフォーラム・フェスティバル2025」の各会場で上映され、東京会場最終日には各分野から招聘した最終審査員3名によって入賞6作品が発表される。
若手からベテランまで多様な作家による応募作の中から、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した水尻自子『普通の生活』をはじめとするユニークなインディペンデント・アニメーション作品群や、東アジア各地域の近代史をパーソナルな視点で問い直す実験的なドキュメンタリー作品など、東アジアの”今”を映し出す20作品が揃った。
イメージフォーラム・フェスティバル2025
「東アジア・エクスペリメンタル・コンペティション」ノミネート20作品
※英語タイトルのアルファベット順に掲載。国名が2つ表記されているものは作者の(出身地/居住地)
『裏切者』 施 聖雪 / デジタル / 11分 / 2025年(中国本土 / 日本)
家族をめぐる妄想譚のようなアニメーションである。“私”の語りで進行する。母は“私”を「裏切者」と呼んだ。祖母は蜘蛛に変身し、絶え間ない苦難で巣を張っていた。ちぎられた指や、床や体を這う無数のカタツムリ–––。“私”の前に現れる不穏なイメージに満ちた本作は、女性に生まれた宿命とは何かを問いかけて展開する。
『分身考』 ワン・モーウェン / デジタル / 35分 / 2024年(中国本土)
パンデミックを機に考古学博物館の学芸員として働き始めた海神の巫女。「科学的認知は、単に集合的な主観なのではないか」の問いを胸に、近代性と習俗を、同時にそれぞれ“分身”として生きることを選んだ主人公を描く。作品も真実/虚構が同時に存在するドキュ/フィクション構造だ。『三位一体』でIFF2021大賞を受賞したワン・モーウェンによる新作。
『昌慶』 イ・ジャンウク / デジタル(オリジナル:16ミリ) / 18分 / 2024年(韓国)
現在はソウルの観光名所として人気の朝鮮王朝の古宮・昌慶宮。1418年建立の昌慶宮だが、日本統治下の1909年に動植物園が作られ一般開放された–––。本作はこの動物園で起こった痛ましい歴史を回顧し、対比的に葉脈や枝葉等の映像を重ねていく。2025年ベルリン国際映画祭でインスタレーション版が展示された。作者は自家現像等“手作り制作”の韓国の第一人者。
『カラス』 野坂 睦斗 / デジタル / 5分 / 2024年(日本)
アニメーションらしい独創的な作品だ。電柱に一羽の大きなカラスが止まっていた。少年が見上げていると、どこからか声が聞こえた。カラスだった。カラスは少年の前に真っ白なフンを落とし、その飛び散った形を「これは星だ」と言った–––。文明批判とも取れる寓意を含んで展開。少年は「汚い」と思ったフンを “星”に見えるようになるのだろうか?
『台風』 MT / デジタル / 13分 / 2024年(香港)
2022年7月1日。香港のとある日常的な街角。しかし徐々に風のうねりが強くなっていき、ラジオの音声が台風の襲来を告げる。その日は香港がイギリスから中国へ返還されて25年の記念日なのだった。式典の断幕が風に波うち、出席者たちは雨に打たれる。2022年に中国南部を襲い、12名の死者を出した台風上陸の日、そして香港の新たな歴史的な日の記録。
『dipolar bipolar』 リ・ゼンカイ / デジタル / 9分 / 2025年(中国本土)
“私”の頭の中には石が詰まっている。そして、夜の訪れとともに現れる怠け者の猫と、昼間にやってくる活力に満ちた犬が住み着いていた。猫と犬は相反するが同時にも存在して、一番の問題は猫だった–––。作者自身が患う躁うつ病の相反する症状に悩まされる生活を、アニメーションで寓話的に表現。カラフルな色彩でポップに活写する!
『ジョーカーの目』 ラウ・ゲンユー / デジタル / 13分 / 2025年(マカオ)
カジノ観光産業が市民生活に多大な影響を及ぼす、”東のラスベガス” マカオから届いた幻惑の映像詩。流れ行く現代マカオの都市風景をバックに、画面を占有するのは観客の目を欺くがごとく披露されるトランプマジックだ。カジノから蹴り出された “ジョーカー” の目を通して描かれる、美しく皮肉に満ちた幻想都市のおとぎ話。
『Goodbye Waves』 ヨウ・ズイカン / デジタル / 8分 / 2025年(日本)
海辺でタバコを吸う一人の男。化粧をし、二人分の食卓の準備をして部屋で一人誰かを待っている様子の女。待ち人は現れない。いつしか彼女は恋人と過ごした時間を回想するのだが–––。暗い色調のなかにあってマカロンカラーの色遣いが印象的なアニメーションだ。繊細なサウンドデザインで、切なく詩的に一つの“別れ”を描き出す。
『敵意ある風景』 ジャン・ハンウェン / デジタル / 59分 / 2024年(中国本土 / ドイツ)
2021年10月、脱北者チュ・ヒョンゴンが吉林省の刑務所から脱獄した。チュは40日間の逃亡の末、豊満ダム近くで警察から銃撃を受けて負傷、拘束される。北朝鮮から中国の旧満州国に跨る地域を横断して逃亡した男の足跡を追いかけ、いまなお容易に触れることができない東アジアの近代史に迫ろうとする風景映画。
『バンコクでゴーストになる方法』 ジャオ・ジン / デジタル / 10分 / 2025年(中国本土)
“ゴースト”とは突然連絡が途絶え無視する状態を指すスラング。バンコクへの旅行中に恋人と音信不通となり時間を持て余した主人公は幽霊のように街を彷徨い始める。スマートフォンの画面や絵文字など現代的なコミュニケーション・ツールをアイロニカルに盛り込みつつ、コマ撮りや再撮影を駆使して、観光ビデオ的な映像を詩的に昇華!
『母、長く赤い夜』 若林 みちる / デジタル / 15分 / 2025年(日本)
1945年3月10日の東京大空襲の惨劇を証言によって語る。中心となるのは、4歳の息子の手を引き、8ヶ月の双子の娘たちを背負って猛火から逃れようとした、当時24歳だった母の語りだ。証言は「東京大空襲・戦災史」(同編集委員会編/1973)他から抽出。母が逃げ惑った現在の東京の川面や公園の映像が、その歴史を包み込んでいるようで胸に迫る。
『私の横たわる内臓』 副島 しのぶ / デジタル / 11分 / 2024年(日本)
生きた黄金虫や肉塊、大量な稲穂、籾殻などが装置として見事に融合された人形アニメーションである。謎めいた洞窟が舞台。稲穂の中から出てきた人形の眼前に現れたのは、集団で肉塊を踏む人形、縄跳びをする人形、果物を運ぶ人形等々が織りなす世界だった–––。命のない人形が、自然界の生物に共鳴して、魂を与えられたかのように動き出す異色作。
『普通の生活』 水尻 自子 / デジタル / 10分 / 2025年(日本)
ドラマチックなストーリーがあるわけではないが、吸引力が光るアニメーションである。犬と散歩する、指輪を指にはめる、長い髪を掻き上げる–––繰り返されるなんでもない行為が、柔らかなタッチ、淡い色彩で描かれ、ゆったりとしたテンポで、少しずつミステリアスに変化していく。2025年のベルリン国際映画祭短編部門で銀熊賞を受賞。
『物語はまた刻まれる』 レイ・レイ / デジタル / 25分 / 2024年(中国本土)
世界文化遺産にも登録されている揚州の木版印刷を題材とし、伝統を支える女性職人の個人史を交えて描く。トイカメラや8ミリの質感をいかしたり、フィルムに木版を転写したりと工芸の世界にビジュアル面からもアプローチしている。アニメーション作家で、近年では実験的なドキュメンタリー作品も手がけるレイ・レイの作品。
『初めの写真』 ジェス・ラウ・ツィンワ / デジタル / 11分 / 2024年(香港)
「フェンスを越えれば別の世界に行けると思っていた」——。1978年8月、父は友人二人と二度目の逃亡を図った。距離にして200km、中国から香港を目指し三人は草叢を進み続けた。8月18日、遠くイギリスではスージー&ザ・バンシーズがプロテスト・ソング「香港庭園」をリリース。その朝、父は——。混沌の社会史の中に失われた個人史を紡ぎ出す。
『ゴブリン・プレイ』 ユ・チェ / デジタル / 47分 / 2025年(韓国)
主人公の女性は精霊に取り憑かれた役のオーディションを受けている。だが、彼女が語っている言葉は誰のものなのか。物語は多層化され、時間は交錯し、トリックが隠されている。やがて意識を奪われた人間のように、映画が語る”真実”が曖昧になっていく。1作ごとに語りの実験を深化させている韓国の新鋭ユ・チェの最新作。
『正しいの反対は左』 ヨンハ・ジェームズ・ファン / デジタル / 11分 / 2025年(韓国 / 日本)
日本語学校に通う作者は、利き手の右手を怪我して、左手で日本語の書き取り練習をしている。右手が書き慣れた韓国語に対し、左手はたどたどしく正しくない。日本語学校の友人たちと過ごす束の間の休日。焦燥と安心の狭間を激しく揺れ動く映像に、母国語で語る詩が重なり独自のリズムを生み出す。日記映画の新たなアプローチ。
『炭鉱奇譚』 ソン・チェンイン、フー・チンヤ / デジタル / 30分 / 2025年(台湾)
かつて炭鉱業で隆盛した台湾北部の山間地・侯硐(ホウトン)。その昔、周囲の洞窟には多くの猿が生息したが、人間により抹殺されたという。過酷な炭鉱労働の記憶が生者の証言を通じて静かに紡がれると、やがて土地に息づく死者たち、そして霊/神なる存在が詳らかになる。美しい映像で描く、イマジネーションに満ちたドキュメンタリー。
『トランス』 女尼子 / デジタル / 12分 / 2025年(中国本土 / 日本)
両親との関係や性アイデンティティの問題など、作者の経験をもとにした荒々しいタッチのアニメーションが展開される。それは主観的なつらさであると同時に、自身について語ることの苦しさの表れでもある。独特なテロップは湖南省に伝わる女性文字とのこと。魯迅の小説に登場する女性・祥林嫂に捧げられているのも興味深い。
『霞始めてたなびく』 山中 千尋 / デジタル / 5分 / 2025年(日本)
2月、大気が緩み里山には霧がかかる。幾層にも重なった色彩豊かなアニメーションがリズミカルに変容し、時に明度を変え、その季節の里山の移ろう風景がスクリーン上に鮮やかに再現される。「風景画によるアニメーション表現の探求」をテーマに制作を行ってきた作者の最新作。アヌシー国際アニメーション映画祭2025学生部門で上映。
イメージフォーラム・フェスティバル2025
「東アジア・エクスペリメンタル・コンペティション」最終審査員
●五十嵐 耕平(映画監督/日本)
●ブンガ・シアギアン(キュレーター/インドネシア)
●モンノ カヅエ(映像作家、アニメーター/日本)
イメージフォーラム・フェスティバル2025 〈映画と言葉 近く遠く〉
【東京】会期:9月27日(土)〜10月3日(金) 会場:シアター・イメージフォーラム(渋谷区渋谷2-10-2)
【京都】会期:後日発表 会場:出町座(京都市上京区三芳町13)
【名古屋】会期:後日発表 会場:ナゴヤキネマ・ノイ(名古屋市千種区今池6-13 今池スタービル2F)
主催:イメージフォーラム/共催:出町座、ナゴヤキネマ・ノイ ほか
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