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ジョージア(グルジア)出身で、1982年にフランスに移住後、主にパリを中心に活躍した映画監督オタール・イオセリアーニが12月17日に89歳で死去した。彼の友人である写真家ユーリ・ロストが「偉大な映画監督で、素晴らしい人物であり、私の非常に親しい友人であるオタール・イオセリアーニが逝去しました」と伝えた。

Valerios Theofanidis, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
「オタール・イオセリアーニには、偉大な映画監督にしかない独自のスタイルがあった」

イオセリアーニは1953年にモスクワ大学で数学を学ぶ予定が、2年後ゲラシモフ映画撮影研究所に移って映画の勉強を始め、その間、短編映画を撮って61年に卒業した。翌年製作した「四月」は一般公開されず(72年になって公開)、漁師や工場で働く時期もあった。66年の『落葉』がカンヌ国際映画祭批評家週間で上映され、批評家連盟賞を受賞。その後、ジョージアで芸術的自由が得られるか懐疑的になり、82年にフランスに移住した。

移住前の時代には『歌うつぐみがおりました』(70)『田園詩』(75)などを製作。フランスに移ってからは『そして光ありき』(89)『蝶採り』(92)『群盗、第七章』(96)『素敵な歌と舟はゆく』(99)などを製作し、02年の『月曜日に乾杯!』ではベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。続いて『ここに幸あり』(06)『汽車はふたたび故郷へ』(10)『皆さま、ごきげんよう』(15)などを監督した。日本にも何度か来日しており、多くのファンを獲得した。

ジョージアのイラクリ・ガリバシヴィリ首相は、訃報を聞き「大きな悲しみ」を感じると述べ、「オタール・イオセリアーニには、偉大な映画監督にしかない独自のスタイルがあった。彼の映画は、何度もわが国を国際的に認知させた」と追悼した。

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