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人間の心理を鋭く穿つ鬼才ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの、当時、日本での劇場公開が叶わなかった幻の2作品、『少しの愛だけでも』(1975-76)と『デスペア 光明への旅』(1978)が、特集「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー ラブ(愛)&デスペア(絶望)」として、11月13日(金)より公開。このたび、オピニオンコメント&イラストビジュアルが解禁された。あわせて入場者特典および公開記念トークイベント開催が決定した。

今回到着したのは石橋英子(音楽家)、尾崎世界観(クリープハイプ/ミュージシャン、作家)、渋谷哲也(日本大学文理学部教授/ドイツ映画研究)、四方田犬彦(映画誌・比較文学研究)ら各界の著名人4名によるコメント。

濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』『悪は存在しない』などの音楽を手がけたことでも知られる音楽家の石橋英子は、『少しの愛だけでも』について、「‘愛’は決して流れていかない。利用し合う人間の免罪符として宙吊りになっている」と、人間関係に潜む愛と搾取の構造を鋭く指摘。さらに『デスペア 光明への旅』については、主人公が思い描く世界と他者の現実との決定的なずれに着目し、「ファスビンダー晩年の最高傑作の一つと言ってもよいと思う」と高く評価した。

クリープハイプのフロントマンであり、小説家としても活躍する尾崎世界観は、2作品に共通する人間の危うさを見つめ、「まっすぐな人間が、まっすぐに描かれている。あまりにもまっすぐ過ぎるせいで、彼らは次第に自分自身に呑まれていく(中略)あっち側に行った人を、こっち側から眺めているつもりでも、気づけばそこを踏み越えてしまっている。だから映画は時に恐ろしい」と、観る者をも巻き込むファスビンダー作品の力を語った。

一方、比較文学研究者の四方田犬彦は、ファスビンダーにまつわる逸話を引きながら、「汚れたる者はさらに汚れたることをなせよ。これがこの呪われた監督の教えだった」と、その過激な作家性に言及。ドイツ映画研究者の渋谷哲也は、『少しの愛だけでも』の主人公の姿について「ただ愛してほしい——それはささやかな願いなのか、過大な要求なのか」と問いかけ「あまりにも痛ましいファスビンダーの隠れた傑作」と評した。愛を渇望しながらも、他者との関係のなかで次第に追い詰められていく人間たち。ファスビンダーが描き続けた愛と孤独、欲望と自己破壊の世界を、音楽、文学、映画と、それぞれ異なる領域で活動する4名が独自の視点から読み解いている。コメント全文は記事下にて。

あわせて、2作品の世界観を表現したイラストビジュアルも解禁。イラストを手掛けたのはグラフィックデザイナーの武田千織。『デスペア 光明への旅』のビジュアルでは、他者に成り代わろうとするうちに、自分自身の輪郭さえも見失っていく主人公の絶望と狂気を、「割れた鏡」をモチーフに表現。鏡に映る顔を通して、次第に崩壊していく精神と、不穏で不確かな内面を象徴的に描き出している。

一方、『少しの愛だけでも』のビジュアルは、主人公が劇中で幾度となく用意する「花束」に着目。ただ愛されたい、愛したいという純粋な願いが、やがて自身を追い詰めていく主人公の、素朴で献身的な人柄を花束に託し、二人の登場人物に寄り添うように描いている。自我の崩壊を映し出す割れた鏡と、愛への切実な願いを託した花束。対照的なモチーフを通して、ファスビンダーが描いた人間の孤独や、純粋な願いが悲劇へと転じていく儚さを浮かび上がらせる、印象的なビジュアルとなっている。

なお、各劇場では11月13日(金)の公開初日より入場者特典としてイラストビジュアルを使用したステッカーの配布が決定した。五所純子、児玉美月、真魚八重子、柳下毅一郎、渋谷哲也らによる作品解説を収録した本特集の劇場パンフレットも発売となる。

さらに、11月15日(日)には、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて、ドイツ映画研究者の渋谷哲也を迎えた公開記念トークイベントも開催予定。『デスペア 光明への旅』の上映後、ファスビンダー作品の魅力や、その映画史的な位置づけについて語る。

ヴェルナー・ヘルツォーク、アレクサンダー・クルーゲ、そしてヴィム・ヴェンダースと並び「ニュー・ジャーマン・シネマ」を代表するライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。彼が37歳という若さで急逝してから40年以上が経った今も、閃光のように駆け抜けた生涯で遺した傑作たちは、私たちの心を激しく揺さぶり続けている。従来のモラルや映画の規範を過激に飛び越えたファスビンダーは、1970年代、破竹の勢いで時代の寵児へと登り詰めていった。その中で愛という名の「支配と搾取」を冷徹に暴き出した『少しの愛だけでも』と、ナチス台頭期のベルリンを舞台に他者になり替わろうと完全犯罪を目論む男を描いた『デスペア 光明への旅』は、彼の毒烈な作家性が最も鮮明になった到達点である。これまでほとんど劇場で観る機会のなかった幻の2作品の貴重な上映となる。

コメント一覧(全文)

石橋英子(音楽家)
一緒にいたい、気に留めてもらいたい、認めてほしい。そのために働き、お金を使う。どこにも行けないブラックホールのような室内の中でそれを愛とすり替えてしまう人間の生活をファスビンダーは映画の中で描き続けてきた。バーでは男も男の手を口に咥えている女も固まって動かない。‘愛’は決して流れていかない。利用し合う人間の免罪符として宙吊りになっている。(『少しの愛だけでも』)
主人公の主観の中では完璧に成立するはずの世界が、他者にとってはまったく成立しない。そのずれを一つ一つ見せていく様が美しい。この映画がゴッホに捧げられているのは、「成立しない」世界を生き抜いた人間への賛美か、故に自己破壊へと向かわざるを得なかった人間への追悼なのか。ファスビンダー晩年の最高傑作の一つと言ってもよいと思う。(『デスペア 光明への旅』)

尾崎世界観(クリープハイプ/ミュージシャン、作家)
2作とも、まっすぐな人間が、まっすぐに描かれている。あまりにもまっすぐ過ぎるせいで、彼らは次第に自分自身に呑まれていく。そこに救いはないけれど、ある意味で、それ自体が救いだったのかもしれない。これでもう楽になったんだな、と彼らを祝福したいような気持ちにすらなる。そんな風に、あっち側に行った人を、こっち側から眺めているつもりでも、気づけばそこを踏み越えてしまっている。だから映画は時に恐ろしい。

四方田犬彦(映画誌・比較文学研究)
ファスビンダーが紅茶に砂糖を入れて差し出しても、誰も手を付けようとしなかった。直前に彼が何に触っていたか、知っているからだ。汚れたる者はさらに汚れたることをなせよ。これがこの呪われた監督の教えだった。

渋谷哲也(日本大学文理学部教授/ドイツ映画研究)
ただ愛してほしい——それはささやかな願いなのか、過大な要求なのか。だが手段を知らないペーターは、愛を買うために無理な行動を重ね、欺瞞の泥沼にはまり込んでゆく。あまりにも痛ましいファスビンダーの隠れた傑作。(『少しの愛だけでも』)

まとめ(注目ポイント)

  • 『少しの愛だけでも』『デスペア 光明への旅』11月13日公開ファスビンダー監督による2作品が、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほかで公開。
  • 石橋英子、尾崎世界観ら4人のコメント到着四方田犬彦、渋谷哲也とともに、愛や絶望、自己破壊をめぐる作品の主題を読み解く。
  • 「花束」と「割れた鏡」のイラスト解禁武田千織が2作品の世界観を、それぞれ花束と割れた鏡をモチーフに表現。
  • 入場者特典&公開記念イベント決定ステッカー配布と劇場パンフレット発売に加え、11月15日に渋谷哲也登壇のトークを開催。
上映情報

特集「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー ラブ(愛)&デスペア(絶望)」 
2026年11月13日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか順次公開

上映作品
『少しの愛だけでも』
『デスペア 光明への旅』

配給:アイ・ヴィー・シー  宣伝協力:XHORA

『少しの愛だけでも』 © Bavaria Media International, All Rights Reserved.
『デスペア 光明への旅』 © Bavaria Media International, All Rights Reserved.

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