第92回アカデミー賞モロッコ代表作『モロッコ、彼女たちの朝』が8月13日(金)TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開。このたび、マリヤム・トゥザニ監督が、主人公サミアのモデルになった今は行方のわからない女性へ宛てて綴り、モロッコの新聞に掲載されたオープンレターが日本でも公開された。
カサブランカで女手ひとつでパン屋を営むアブラと、その扉をノックした未婚の妊婦サミア。思いがけぬ出逢いが、ふたりの人生に光をもたらしてゆくー。本作は、新星マリヤム・トゥザニ監督が、過去に家族で世話をした未婚の妊婦との思い出をもとに作り上げた長編デビュー作。 モロッコの伝統的なパンやインテリア、アラビア音楽など、あふれる異国情緒がドラマを彩る。家父長制の根強いモロッコ社会で女性たちが直面する困難と連帯を、フェルメールやカラヴァッジョといった西洋画家に影響を受けたという豊かな色彩と光で、美しく描き出した。
2019年のカンヌを皮切りに世界中の映画祭で喝采を浴び、女性監督初のアカデミー賞モロッコ代表に選出。さらに、現在までにアメリカ、フランス、ドイツなど欧米を中心に公開され、ここ日本でも初めて劇場公開されるモロッコの長編劇映画となった。製作・共同脚本に、本年度カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に監督作が正式出品された著名監督で、トゥザニ監督の夫でもあるナビール・アユーシュ。主演に、『灼熱の魂』のルブナ・アザバルと、日本初紹介のニスリン・エラディ。
実は、この物語はマリヤム監督の実体験が元となって作られた。大学卒業後、実家へ戻っていたマリヤム監督の元に、主人公サミアのように、行くあてがないという妊娠8ヶ月の女性が訪ねてきた。イスラム教圏のモロッコでは婚外交渉が違法で、未婚の女性が病院で出産しようものなら逮捕されかねない。両親と監督は全く面識のない彼女をかくまい、出産までを世話した。
そして彼女は、「未婚の母の『罪の子』としてではなく、よそで幸せな人生を送れるように…」と、出産後すぐに子どもを養子に出し、地元へ帰っていった。それ以来、居場所も連絡先も分からないという。
そんな彼女へ向けて、マリヤム監督はモロッコで本作が公開された際に、オープンレターをモロッコの複数の新聞に掲載した。そこには17年の時を経て、監督自身が母親になって初めて気づいた、当時の彼女の痛みや苦しみに寄り添った想いが綴られている。涙なくしては読むことのできないこのオープンレターは彼女に届いたのだろうか。彼女からの返事を監督は今も待ち続けている。
オープンレター全文は以下の通り。
親愛なるサミア。
この言葉が、あなたに届くでしょうか。私はこれをあなたのために書いているようで、実は自分のために書いているのかもしれません。
私の息子は2歳半になりました。あなたの息子さんは17歳になっているはず。私は、毎晩のように、息子のまぶたが閉じるまで彼の目をのぞき込んでいます。すると、これまで幸せだった瞬間、共有した時間など、様々な美しい記憶が浮かんでくるのです。息子の小さな声に起こされれば、抱きしめ、なぐさめ、キスをします。小さな子供たちにとっては、時に夜というものはとても恐ろしい存在ですから、息子は私に身体を押し付け、私の首元に顔をうずめてきます。そして、再び眠りにつこうと、「ママ」という言葉を呪文のようにささやくのです。そのママという2つの“音節”を耳にすると、それが私の存在を形作っているように感じ、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。彼の小さな心臓の鼓動に、私自身が揺さぶられているのです。
ええ、これはあなたから盗まれてしまったものです。
こうした夜も、そして朝も、あなたから奪われてしまった。この無邪気で、か弱く、不安定な「脆さ」こそ、あなたを成長させるだけでなく、同時にあなたの魂に突き刺さり、血管を流れるようにあらゆるものを超越していくはずだったのに。永遠の一片のように。
彼が「ママ」と呼ぶのを聞くことは、これからもないでしょう。そして、彼の声を知ることも。その声が変化し、知らずのうちに形を変え、子どもの頃とは別の力で何かと共鳴するのを感じることも。
彼の笑い声を聞くこともないでしょう。例え生きることが苦痛を伴うものだったとしても、彼の笑いがあなたの心に響き、笑いをもたらしてくれるはずだった。彼の笑いこそ、あなたの心の奥底まで行き渡る素朴で美しいものであり、幸せの源であったはず。こうしたことがあなたから奪われてしまったことに、心が痛みます。
妊娠を隠しながら、疲れ果て、取り乱したあなたが私たちの家のドアを叩いたのは17年前のこと。あなたの顔は、私の記憶の中では曖昧でぼやけていますが、目だけは別です。あなたのきらめくような目は、生きる喜びに満ち、私たちもつられて微笑んでしまうようでした。生後8カ月のお腹で孤独や恐怖を抱えていても、その目のきらめきが消えることはなかった。
そして、彼がこの世に誕生しました。あなたは、彼と別れて自分の道を進むほうが簡単だと思っていたのでしょう。あなたは、その揺るぎない、計り知れない愛を以って、彼を愛した。彼を手放した日の、あなたの凛々しい目を忘れることはできません。今となれば、どれだけ心を引き裂かれる思いだったか分かります。
あなたがどこにいるのか、どうなっているのかわかりません。もしかしたら他に子供がいるかもしれないし、他の幸せが人生にもたらされたかもしれない。また笑うことができているかもしれません。それでも、取り返しのつかないことはあるものです。あなたの得た傷が、永遠に癒えることが無いことを、私は知っています。
あなたの存在が、私から離れてはいないことを知ってほしいのです。あなたの傷は、私のものになりました。あなたの犠牲が私の中に刻まれ、長い年月を経て再び現れたのです。自分が母親になったとき、私はあなたに再会し、あなたの痛みの記憶がかつてないほど鮮明に、そして激しくよみがえりました。監督になったとき、私はこの物語を伝えなければならないという強い思いに駆られました。あなたと、自分の子供を愛する権利を奪われ、自らの“アダム”や“イブ”を諦めることを強いられた、すべての女性たちの物語を。
マリヤム
モロッコ、彼女たちの朝
2021年8月13日(金)、TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開
【STORY】
臨月のお腹を抱えてカサブランカの路地をさまようサミア。イスラーム社会では未婚の母はタブー。美容師の仕事も住まいも失った。ある晩、路上で眠るサミアを家に招き入れたのは、小さなパン屋を営むアブラだった。アブラは夫の死後、幼い娘のワルダとの生活を守るために、心を閉ざして働き続けてきた。パン作りが得意でおしゃれ好きなサミアの登場は、孤独だった親子の生活に光をもたらす。商売は波に乗り、町中が祭りの興奮に包まれたある日、サミアに陣痛が始まった。生まれ来る子の幸せを願い、養子に出すと覚悟していた彼女だが……。
監督・脚本:マリヤム・トゥザニ
出演:ルブナ・アザバル 『灼熱の魂』『テルアビブ・オン・ファイア』、ニスリン・エラディ
2019年/モロッコ、フランス、ベルギー/アラビア語/101分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/
英題:ADAM/日本語字幕:原田りえ
提供:ニューセレクト、ロングライド 配給:ロングライド
©︎ Ali n' Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions
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